♪♪♪♪ みなあいのひとりごと ♪♪♪♪

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 No.4
ボクのドリーム
99.12.末

 サマーピクニックフォーエバーの記憶をしっかりと書き留めたい、という思いは強く、ピクニック広場が休止中の現在しっかりと残そうと思ったらごく限られた方しかアクセスできない某エリアの他にはここしかないのかな、と。そしてフォーエバーを書き始めるにあたって一度過去を振り返ってみようかな、と。サマピドリーム終了後当時、我が敬愛するピクニック広場様への投稿は中途半端な尻切れトンボに終わってましたが別のところに掲載していただくために書いていた文章がありまして、今回書き下ろしではありませんし、こうせつさんのコンサートについてではなく自分がどうしていたかということが中心の日記なので他の人にとっては意味のないことかもしれませんが紛れもない僕の確かな足跡、ここで一度振り返ってフォーエバーを書くきっかけにしたいと思います。


1999年



7月25日


 たまたま会場前で会った某知人の「何でそんな早くから並ぶん?」、という問いかけを背中で聞きながら返事もせずに荷物を満載した車に乗り、ピクニック村予定地である筥崎宮へ移動する。彼の問いかけを無視したわけでは無い。でも、いくら言葉を尽くして語っても理解できないだろうことは分かる。彼には体験が無かったんだから。
 初めてキャンプ村に参加した83年。動機は少しでも良い席を確保したい、というしごく単純かつ当たり前すぎるものだった。しかし、いく夏か年が過ぎてゆくにつれキャンプ村に入ると「今年もここに戻って来れた」という思いが強くなる。コンサートの終わりを告げる朝を迎え、会場を去る時の「来年も来れるだろうか」、という一抹の不安。この時に既に次の年のピクニックが始まっていたんだろうと思う。そしてファイナルが終わった朝。「もう、ここに戻って来ることはないのか」という淋しく切ない思い。涙がこぼれそうだったので振り返らずに車を走らせた。あれから9年を経て、またピクニック村に参加できる。6月くらいから「まだか、まだキャンプは始まってないのか」、とかなり入れ込みつつ毎日のように会場に通い、ようやく迎えたこの日。理解できないことを一生懸命説明するような煩わしさは勘弁してもらいたい。
 二次キャンプ村予定地で前日から泊まっていた優大くん・Xさんと合流。一次キャンプ村候補地の若杉山へ先行下見し、携帯電波が届くのを確認して正式に一次キャンプ村となった。ここで1週間過ごすことになる。少しでも良い場所を、と何度か場所を変え、最終的に風通しが良く、眺めも良い場所にテントを張る。陽が沈むと福岡の夜景が美しく、心地よい風も吹いている。「最高の場所やな」、と一杯やっていると地元の若者たちが車で次々とやってくる。心地よく眺めの良い場所は地元若者のデートポイントでもあった・・・。ときおりテントを照らすヘッドライトや若者の嬌声に悩まされつつも焼酎のおかげか、いつの間にか眠りに落ちていた。


7月26日

 朝遅く相方からたたき起こされる。今日は台風の影響で風が強く雨も降っている。差し入れの朝食を食べ風呂と買いだしに出かける。相変わらず風が強くテントが気になって落ち着かない。早々に用事を済ませキャンプ場に戻ると・・・、無い。テントが跡形も残ってない。一瞬呆然としたが「別に大事なものを残していなかったんだし、こんなアクシデントがあってこそピクニック村だ」と、訳の分からないままにも落ち着きを取り戻す。周囲を捜索すると東屋の中にドロドロになったテントが荷物と共にまとめてあった。近くにいた人が回収してくれたそうで、早速お礼を言いに行く。何かお礼の品を、と考えていたが、買ったばかりの私の焼酎が既にその人の物になっているのを見つけたのでお礼の手間が省けた。テントやマットはびしょ濡れで当面使い物にならない。仕方なく常時車に積んでいる小型テントを張り、マットなどは新品を買うことにする。


7月27日

 朝から雨。特にすることもなく、昼食を食べにでかけたくらいで一日本を読んで過ごす。


7月28日

 ようやく晴。寝袋・マットを干す。Xさんと優大くんは買いだしと風呂に出かけたので一人留守番がてらイスとテーブルを外に出して木陰でのんびりと本を読んで過ごす。下界とは違って時折吹く風が心地よい。このままずっとここでキャンプできれば、と思う。優大くんのお父さんが整理券の試作品を持ってくる。Xさんの意見を聞き早々に帰る。Xさんたちは優大くんのお父さんが夕食までいて、今日到着予定のぽっくりさんと共に食事をするつもりで焼き肉などいっぱい用意していたらしい。余るともったいないので私もお呼ばれすることになる(これをきっかけ?に食事に関してしばらく居候状態になって感謝するやら恐縮するやら・・・)。


7月29日

 再び雨。出かけよう、と思ったらエンジンがかからない。セルはしっかり回っているのでバッテリーではない。「これだけ雨が降るんやけエンジンも湿気るやろ・・・」とあきらめてテントに籠もる。


7月30日

 くもりのち晴。朝のうちにエンジンをかけてみるがやはりかからない。タバコが切れてパニック寸前。するとぽっくりさんから「しばらく上に上がった所に売店がある」との耳よりな情報が。即出かけることにする。サンダル履きで山道を上がっていく。「そう言えば坊中の買いだしもこんなんだったなぁ」、と感慨深い。ようやくタバコにありつき一息ついて再びエンジンをかけてみると何事もなかったようにかかる。「変な車やのう」とXさんの冷やかしの言葉を背に風呂とメールチェックに出かける。


7月31日

 晴。土曜日ということもあって、朝から人の気配。どこかの会社関係か、夜に宴会をするらしく場所取りを始めた。テントのすぐ横までロープを張っているので「これは離れた方がいい」と判断、テントを移動する。若杉最後の夜、静かに感慨にふけよう、と思っていたが宴会組が騒いでそれどころではない。結局夜遅くまで宴会が続きあまり眠れなかった。


8月1日

 晴のち夕立。山から海へ、二次キャンプ場である筥崎宮駐車場へ引っ越し。風で飛ばされた方の大きいテントを張る。ペグを引っかけるゴムだけ新品と交換すればいい、と思っていたが内張りがズタズタに破れているのでガムテープで補修し何とか体裁は整った。今日からグループの何人かも泊まることになりだいぶ賑やかになってきた。


8月2日

 Xさんのテントの方が盛り上がっている。優大くんの勉強用に持ってきた「ブーブーマシン」ことピカッpa君を交代でやっているそうだ。ルールは1枚の問題用紙に5問の問題があり、全問正解すれば次の人と交代、である。「所詮中学生の問題」と気軽に考え仲間に加えてもらう、がこれがくせ者。現役を離れて早?十年、当時の教科書には無かった言葉なども出てくる。間違える(無情な機械は「ブーッ」と大きな音を出す)と「うおーっ!」と叫びながら頭をかかえ、正解すると「おっしゃー!」とガッツポーズ。ついつい熱が入ってしまう。みんなで熱中し、いつの間にか数時間が経っていた・・・。夕方、相方と海辺でギター弾いていたらXさんから通りがかりに「ヒューヒュー」と冷やかされる。かまわず続けていると今度は福岡在住の友人が差し入れを持って遊びに来たので交代でギターを弾き歌って盛り上がる。しかし彼らは仕事を途中で抜けた、とかでYシャツにネクタイのこの場所にそぐわない姿だった。夕食はXさんグループにまたまたお世話になってホルモン焼きをいただく。ホルモン焼きもうまいけどまた酒が格別!つい飲みすぎてしまう。


8月3日

 御立場の下準備の買いだしに出かける。食材は直前じゃないと危ないのでこの日は紙皿など消耗品のみに留める。夜は「元祖長浜屋!」のラーメンツアーに誘われるが、今夜も友人たちが来るとのことで残念ながら不参加。ファイナル以来の友人を含め今日は3人遊びに来た。酒を飲みギターを弾いて歌を歌い、結局最後の一人が帰ったのは午前2時を過ぎていた。


8月4日

 今日は早朝魚河岸ツアーの日。夕べ遅くまで盛り上がっていた自分は当然不参加。ただ、「魚河岸のイクラ丼」が気になっていたのでXさんに感想を聞くと「前夜のラーメンツアーが祟って食べれなかった」とのこと。夕食は魚河岸で買った魚介類のお刺身大会。これが魚はうまいし酒がまたうまい!みんなでわいわいがやがや夜遅くまで盛り上がる。優大くんが締めの挨拶をしてようやくお開き。キャンプ場に静けさが戻る。テントに戻り、どれくらい寝ただろうか。ふと人の声で目を覚ます。「・・・さん・・・くーん」、と誰かを捜す声。時計を見ると2時過ぎていた。「こんな時間に迷惑な人たちやなぁ」と思いつつ再び寝ようとしたら「・・あいくーん、みなあいくーん」と聞こえた。「俺やんけ!」とがばっと起きて外を見るとこれまたファイナル以来の友人二人組がネクタイ姿で立っていた。会社の飲み会が福岡であったので終わってから寄ってみたとのこと。二人とも泥酔状態である。海辺に移動し差し入れのビールを飲みながら1時間ほど話しをした後タクシーをひろって帰って行った。後日、彼に聞いたところ、この日ピクニック村に来たことはまったく憶えてないそうで・・・。また夜中に誰が尋ねてくるかわからないのでテントの入り口に「みなあいの部屋」と書いた看板を置くことにした。


8月5日

 今日は御立場。今まではただお客としての参加だったが今回初出店である。朝からわくわくして何となく落ち着かない。某知人のテントに行くと今日のことは知らなかったらしく、急遽メニューを決めて参加することになった。食べ物の仕込みは相方にまかせてあるので店を飾る準備をする。心配していた天気もかろうじてもっている。定刻より遅れて実行委員長挨拶の後カクテルで乾杯していよいよ御立場の始まり。たこ焼き、だんご汁など趣向を凝らした看板と共に店がならんでいる。うちは餃子屋さんであるが、なかなか好評で焼くのが追いつかないくらいであった。製作はすべて相方にまかせているので私はもっぱら飲み食い専門。下手な飲み屋に行くよりよほどおいしく「これこそピクニック村!」、力一杯飲み食いして忘れられない一夜となりました。


8月6日

 御立場の余韻も醒めぬまま今日は前々夜祭。今日も1日ソワソワして夜を待つ。担当の優大くんから「ギターを持っているので、ぜひ演奏に参加を」と呼びかけられるが、上手な人が多いので足をひっぱると悪いと思い、お断りさせてもらった。夕方早めに銭湯に行き、ほか弁の夕食を買って戻る。既に準備が整っていてステージ(と行ってもランタンで照らされて譜面台が置いてあるだけではあるが)前に集合する。開始の挨拶の後、ステージでは3人がギターを弾いて皆で囲んで歌って踊って盛り上がる。あまりの盛り上がりに終了予定時間の9時を大幅にオーバーし、10時をまわった頃、ラスト曲「時は流れて風が吹く」になる。周りの人が次々とステージに出て肩を組んで歌う。もちろん自分も参加、とても幸せなひとときでした。


8月7日

 朝、テレビ局がキャンプ村に取材に入る。むさくるしい姿なので表には出ない予定だったがこうせつさんが来たら話は別。どうもこうせつさんに関しては分別が無くなるようで・・・。各テントをまわっている時はおとなしくしていたが「みんな集まれ!」の号令で一番そばまで飛んでいく。タムジンさん撮影の集合写真を撮った後「ギターがある人は持って来て」の声にテントまで飛ぶように取りにいく。前夜、弦が1本切れて、予備も持ってなかったのだが、1時間ほど前に山下さんからもらって張ったばかり、ついている。結局4人ギターを持ってきて、こうせつさんはその中のひとりからギターを受け取って「あの日の空よ」の夢の共演。最高の思い出となった。
 さすがに前日ともなればキャンプ村の人口はかなり増えてきた。友人たちも集まってきて応対が忙しい。明日のためにシートを広げて人数分の場所取りのチェックをする。あまり広くとりすぎてもいけないので一人あたり縦横70cmで計算しシートの広げ方を決める。夜、最終ミーティング・整理券配布。けっこう手間取っているようで、せっかくの前夜だが、Xさんたちはほとんどの時間をそれに取られていた。ファイナルから9年経ちみんなその分年をとったためか、かつての前夜のにぎわいはなく思ったよりも静かな夜であった。自分も明日にそなえて早めに寝ることにする。


8月8日

 朝、すでに会場前で一般客がかなりならんでいるとの情報が入り、キャンプ村出発時間が早まる。駐車場開場時間を待つ車の列を追い越して会場前に到着。しかし後続が来ない。駆け足で見に行くと一般車両の列につかまっていた。警備員としばしのやりとりの後、ようやく話しが通じ、長い車の列を走りまわってキャンプ村車両を誘導する。本番に備えてできるだけ動かずに体力を温存する予定が、すでにこの時点で体力を使い果たしそうになる。かなり時間がかかってようやく人間が揃うと今度は整理券チェックとブロック別の列の整理。自分はA−2ブロックの先頭なので当然整理担当、声が枯れそうになる。夏の日射しの中、かなり長い時間待ってようやく開場。事前の打ち合わせ通り整然とグループごとにシートが広げられる。後は開演を待つだけ。ダウンしそうだったので日陰のある場所でしばしうたた寝をして体力の回復を図る。ようやく開演時間が迫り、「さぁお祭り本番!」とばかりに幟をあげると「カメラチェックの邪魔になるのでおろすように」との冷たいお達し。「いったい誰のためのコンサートなの?」と言いたくなるのを我慢する。欲求不満になりつつも開演すると現金なもの、コンサートに熱中する。「夢」の時間はあっという間に過ぎ、待ち望んだかぐや姫の復活という思い出を残しコンサートは終わった。仲間が感謝の気持ちを物やお金じゃなく胴上げで表現してくれたのに感激。「ひとりあたり実費でいくら」を集金し、終わった後は挨拶もなくそそくさと帰る寄せ集めのグループもあったと聞くがそんなところとは違うピクニック時代からの絆を実感し、こんな仲間がいるのがとても誇らしかった。この日は風呂に入りたかったので最後の夜をキャンプ村で過ごしたかったが宿に泊まる。さすがに朝からの疲れで軽く一杯飲んだだけでバタンキューだった。


8月9日

 朝食後、宿を出てキャンプ村に帰る。昼までに片づけなければいけないが、少しでも長くここにいたい、という気持ちが強くなかなか進まない。手伝おうとする仲間を制し、自分だけでゆっくりとテントをたたむ。昼近くまで時間をかけて荷物をすべて車に載せて、最後に念入りにゴミが落ちていないか確認をして、終わった。最後を見とどけていたXさんに挨拶し車のエンジンをかける。9年前のあの朝と同じ、いや、あの時以上の寂しい気持ちで胸がいっぱいになる。キャンプ村の前で一度だけ振り返り夢の跡を目に焼き付けて家路についた。


後記

 この後しばらくの間「満天の星」がダメでした。「僕は家路に急ぐ」のあたりであの日の帰り道の切なさが蘇って涙が出そうになって困りました。初日に「何でそんな早くから並ぶん?」と言った知人はキャンプ村入りした当初は「暑い」「きつい」を連発してましたが、終わった後に「楽しかった。あれはキャンプした者じゃないとわからん」と喜んでいました。すくなくともひとり(じゃないですね。キャンプ村初体験で大感激した人がグループ内に複数いました)でもあの楽しさを理解できる人が増えたことが素直に嬉しかったです。

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